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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)599号 判決

控訴人 森田リン子

被控訴人 片山初雄

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し別紙物件目録記載の土地につき所有権移転登記手続をなすべし。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一控訴代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因及び被控訴人の主張に対する反論として左のとおり述べた。

一、別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)はもと訴外永井信(以下永井という)の所有であつたが、昭和二六年一二月一二日訴外神田飲食企業組合(以下組合という)がこれを代金七二万五、〇〇〇円で買いうけることになり、右代金は後記の事情により当時組合の訴訟代理人であつた訴外井上四郎弁護士(以下井上または井上弁護士という)により立替支払われて組合においてその所有権を取得したが、ただその登記簿上の所有名義は後記の事情により永井の承諾をえて、井上の岳父である訴外伊東光太郎(以下伊東という)の名義を用い、昭和二七年二月一八日永井から伊東への所有権移転登記がなされたものであるところ、控訴人は同年四月二九日組合との間で組合の債権債務一切を控訴人が引受ける契約を締結し、控訴人は組合に対し金一〇八万円を支払い、同日組合の権利義務を承継し、本件土地及びその地上に存する組合所有の建物(東京都千代田区神田鍜治町一丁目二番七号所在家屋番号同町二番三一、木造瓦葺二階建地下一階付店舗一棟、一階二三・九一坪、二階九・七五坪地下一二坪、以下本件建物という)の所有権を取得した。

そして控訴人は井上に対し同人の立替代金の返済として昭和二八年末日までに合計金二四四万円を支払つた(事情の詳細は後述)。

二、このように本件土地は控訴人の所有であるにもかかわらず、登記簿上は永井から伊東に対し昭和二七年二月一八日、さらに伊東から被控訴人に対し同三四年五月七日いずれも売買による所有権移転登記手続が経由されているが、伊東名義の登記は単に形式上の仮装のものにすぎず、同人に所有権はなく、被控訴人は右の事情を知悉している悪意の第三者であり、仮りに悪意でないとしても伊東と被控訴人間の売買契約なるものは通謀虚偽表示で無効であるから、いずれにしても被控訴人は本件土地の所有権を取得しうべきものではない。よつて控訴人は本件土地所有権に基づき登記簿上の名義を真実に合致せしめるため、被控訴人に対し所有権移転登記手続を求めるものである。

三、右事情の詳細及び被控訴人の主張に対する反論は次のとおりである。

(一)(1)  はじめ、本件土地とその隣接の同町二番二八の土地は永井の所有であつたが、昭和二五年訴外木下照夫がこれを占有しその地上に本件建物外一棟の建物を建築し、同人は本件土地上の本件建物を組合に、隣接地上の建物を訴外和田斐雄にそれぞれ売却し、移転登記を経由した。そこで永井は土地所有権に基づき昭和二六年五月一五日右二棟の建物の収去と土地明渡を求めて組合及び和田を被告として訴訟を提起した(東京地方裁判所昭和二六年(ワ)第二五八号建物収去土地明渡請求事件)。

(2)  右訴訟において組合は井上弁護士を訴訟代理人として応訴した。右和田については、同年一二月一二日和解が成立し、和田は翌二七年二月一八日隣接土地を永井から買取つてその旨の登記を経由した。

(3)  本件土地についても、永井と組合訴訟代理人井上弁護士間に和解の話が生じ、永井はこれを組合に売ることとしたが、当時組合は他に債務を負い、またその代表者らもその連帯保証人となつていたため、これを組合又は代表者個人名義にするのをはばかる事情があつたところから、井上は永井側の承諾をえて取りあえず自己の岳父伊東光太郎の名義を用いて昭和二六年一二月一二日永井との間に、売主永井信を甲とし、買主伊東光太郎を乙として次の内容の売買契約を締結した。

(イ) 甲は乙に本件土地を代金七二万五、〇〇〇円で売渡す。

(ロ) 乙は売買代金の内金として本日甲に対し金一〇万円を支払う。

(ハ) 乙は昭和二六年一二月二六日限り甲に対して残代金を支払い、甲は同時に乙又は乙の指定するものに対して本件土地の所有権移転登記手続をなすこと(以下略)。

そして右(ロ)記載の代金の内金一〇万円は右井上が同日自己振出の小切手で組合のため立替えて支払つた。

一方訴訟の方は同日結審の上、昭和二七年一月一九日組合敗訴の判決があり、右判決については、控訴の手続なく、そのころ確定した。

(4)  その後井上は同年二月一八日登記所において前記売買代金の残額六二万五、〇〇〇円を自ら出捐して組合のため永井の代理人垂水弁護士に支払い、同日本件土地につき伊東光太郎名義に所有権移転登記をうけた。

(5)  以上の次第であつて井上弁護士は組合の代理人として永井との間に本件土地の売買契約をし、その代金を立替えて支払つたものであり、これにより組合は本件土地の所有権を取得したのであつて、永井は単に形式上の名義人でその登記は仮装に過ぎず、爾後は組合と井上との間に立替金の清算が残るのみであつた。

(6)  しかるに井上は現に被控訴人が本訴において主張するごとく、本件土地は真実伊東が買受けて、同人の所有となつたものであると主張するにいたり、手続上必要だからといつて、永井代理人垂水弁護士から前記確定判決につき承継執行文の付与申請に必要な書類一切を受取り、同年三月初旬知人の山崎保一弁護士に依頼し、伊東名義で本件土地に関する組合に対する承継執行文の付与をうけ、次いで同年五月下旬右承継執行文に基づき建物収去土地明渡の強制執行に着手した。

(7)  しかし井上は組合の委任をうけ、その訴訟代理人として永井との前記訴訟をなしていたのであるから、その解決にあたり、委任者たる組合の利益のために誠実に職務を執行すべきであるのにかかわらず、たまたま前記経緯でその訴訟の目的たる本件土地が伊東の名義で移転登記されたのを、真実同人が買受けた同人の所有であるとするのは、伊東は当時無職で井上方に同居していたその岳父であり、井上のかいらいに過ぎないことからすれば、ひつきよう井上が買受けたと主張し、自己の依頼者の相手方当事者を承継するということとなるものであり、かかる行為は弁護士法二八条の係争権利譲りうけの禁止条項に違反するのみならず、委任者たる組合の意思、利益に反すること明白であり、弁護士が受任者としての義務たる善管注意義務にも反して、到底許されるものではない。

(8)  一方、昭和二七年四月ころになつて組合は経済上の困難が生じたので、その打開策として組合を事実上解散させ、組合員として名目上理事長有田正夫と前理事長川口秀雄の二名のみを残し、他の組合員は全員脱退し、本件土地及び建物ならびに組合経営の飲食店「福泉」の経営権等を、組合の債権債務の一切とともに控訴人に金一〇八万円で譲渡すことになつた。このことは昭和二七年四月二九日に行われた組合の臨時総会において決定され、同日控訴人は金一〇八万円を組合に支払い、本件土地の権利者となつたものである。井上は組合の相談役として組合事務所に常時出入りしており、右臨時総会の際にも、関係書類一切の原稿を自ら作成し、立会人として出席したくらい組合と緊密な関係を有していたものであつて右の事情を逐一知悉していたものである。

(9)  しかるに井上は控訴人が本件土地の権利者となるや井上の真意や事の実状をよく知らない控訴人に対し、昭和二七年五月上旬「本件土地は現在伊東光太郎こと外国人遊正恒の名義になつているが、同人が前地主に支払つた土地の売買代金の立替金八四万二、〇〇〇円に利息を加えて金一〇〇万円を同人に支払えば、控訴人の名義にかえてやる。その支払いは分割払いでもよい」ともちかけた。控訴人は右申入れを承諾し、井上に対し次のとおり右代金を支払つた。

(イ) 昭和二七年六月九日 金三万円(伊東代理人山崎保一弁護士あて)

(ロ) 同年七月九日    右同  (右同)

(ハ) 同年八月七日    右同  (右同)

(ニ) 同年九月五日    金五万円(右同)

(ホ) 同年九月三〇日   右同  (右同)

(ヘ) 同年一〇月三一日  右同  (右同)

(ト) 同年一二月五日   右同  (右同)

(チ) 同年一二月二五日  右同  (右同)

(リ) 昭和二八年一月   右同  (右同)

(ヌ) 同年二月      右同  (右同)

(ル) 同年三月      右同  (井上弁護士あて)

(ヲ) 同年四月      右同  (右同)

以上合計金五四万円也

昭和二八年二月に至るや、これまで伊東の代理人として控訴人方に来ていた山崎保一弁護士が代理人を辞任し、同年五月一日に至り寺島景作弁護士が新たに伊東の代理人として控訴人方に来訪し「本件土地は一〇〇万円では名義はかえられない。二四五万円ならかえてやる。ついては代金三〇万円を今月直ちに、残金は本年暮までに支払え」と申し入れてきた。控訴人は驚いて直ちに井上弁護士に相談したところ、「そうせよ」というのみであつたので、控訴人はやむなくこれを支払うこととし、当時順調に本件建物で営業中の「福泉」の経営をやめて建物の一階および地下を石井文子ほか一〇店舗に、権利金をとつて賃貸するなどして金策し、次のとおり右金員を支払つた。

(ワ) 昭和二八年五月一日 金三〇万円(伊東代理人寺島景作弁護士あて)

(カ) 同年五月      金五万円 (右同)

(ヨ) 同年六月      右同   (右同)

(タ) 同年七月      右同   (右同)

(レ) 同年八月      右同   (右同)

(ソ) 同年九月七日    金一〇万円(井上弁護士あて)

(ツ) 同年一〇月     右同   (右同)

(ネ) 同年一一月六日   金二〇万円(右同)

(ナ) 同年同月二六日   金一五万円(右同)

(ラ) 同年同月二七日   金二五万円(右同)

(ム) 同年一二月     右同   (右同)

(ウ) 同年同月二八日   右同   (右同)

(ヰ) 同年同月末     金一〇万円(右同)

以上(イ)ないし(ヰ)の合計金二四四万円

(残金一万円は登記終了後支払の約束)

控訴人は右のとおり支払つたので井上に対し本件土地の所有名義を控訴人に書きかえる手続をとるよう再三再四申し入れたがこれに応じようとしなかつた。

(10)  被控訴人は伊東の受領した金員の額と趣旨を争い、右は組合及び組合から本件建物を取得した控訴人が支払つた執行の延期料及び地代相当の損害金であると主張するが、本件土地はすでに組合及び組合から譲受けた控訴人の所有であり、井上はこれを伊東名義にもせよ自己に取得しえないことは前記のとおりであつて、右金員を受領したのは井上の友人である山崎、寺島弁護士ないしは井上自身であるから、執行の延期料や損害金を取得することは許されず、右金員が被控訴人主張の如きものである筈はない。

(二)(1)  被控訴人は昭和三四年五月七日伊東から本件土地を買受けたと主張するが、控訴人及び被控訴人の妻片山恵江は組合が事実上解散し、組合員の殆んどが脱退し、有田正夫、川口秀雄二名のみ残留し、控訴人が組合の債権債務一切を引継ぐことを決議した昭和二七年四月二九日の臨時総会の当時、いずれも組合員であり、被控訴人自身も以前から組合に出入して内部事情にくわしいのみでなく、右総会に恵江の代理人として出席し、右決議に加わり、この決議にしたがつて慰労金及び出資返戻金一万四、〇〇〇円余を受領し、爾後も常時本件建物に出入し、組合関係者らと交際しており本件土地は井上弁護士が組合の代理人として伊東名義で取得した組合のもので、伊東は仮装の名義人に過ぎず、控訴人が組合の権利義務を承継して本件土地の権利を取得したことについては知悉していたものである上、その後控訴人と井上との紛争についても熟知しているものであるから、被控訴人は悪意の第三者であつて、本件土地について所有権を取得しえないものである。

(2)  かりに被控訴人が悪意でないとしても、伊東と被控訴人間の売買契約は通謀虚偽表示であつて無効である。すなわち前述のように井上は控訴人から多額の金員を受領しながらその名義変更の要求に応じないので、控訴人は昭和三〇年及び同三二年に井上を詐欺、横領罪で告訴し、激しくその責任を追及していたところ、井上はその追及を免れるため、突然昭和三四年五月本件土地所有名義を伊東の名義から被控訴人にかえてしまつたのである。そしてその際売買代金は金五五〇万円とされているのに、通常の取引の場合であれば、手付金にもみたない僅か金三〇万円を被控訴人から受領したのみで移転登記を了しているのであつて、これらのことはその売買は井上が本件土地に関する控訴人の追及を逃れるために被控訴人と通謀してした虚偽表示であることを示すものであつて、もとより無効である。

(三)  被控訴人は昭和三一年三月一九日付調停の成立したことを挙げ、本件土地が控訴人の所有でないと主張するが右調停はもともと無効のものであるから右主張は根拠がない。すなわち

(1)  右調停は本件土地が適法に伊東の所有になつているものとの前提において成立したものであるが、これは井上弁護士が弁護士法二八条に違反して不法に自己の岳父名義で係争物件を譲りうけたものであるから、右伊東名義における井上の所有権の取得は無効であるが、控訴人は当時そのことを知りえなかつたことは当然であり、かかる不正違法状態があるのに、さらに譲歩を迫られて締結されたのが本件調停である。したがつてこの調停はまづ第一に違法無効な権利関係を前提とする点で無効であるとともに控訴人がこれを知りえたならば応じなかつた筈であるから法律行為の要素に錯誤があり無効である。しかも井上は調書に記載されてこそいないが実際には本件調停に関係者として参加し、自己の非違を全く反省することなく控訴人に対し、さらに譲歩を迫つたものであり、かかる弁護士倫理にも反する不当な圧迫のもとに成立した調停は、公序良俗に反し無効である。

(2)  また右調停の際控訴人は、やむをえず当時本件建物の賃借人らについて滞つていた家賃金三二〇万円を相手方代理人我妻弁護士及び井上が控訴人のため取立て、それを本件土地売買代金として受領するからよいではないかとの提案を信じ(これも当然本来支払う必要はない金員である)たが、そのことは何故か調書には記載されていない。しかしながら、もともと弁護士が弁護士法違反を行なつて、自己の岳父名義にした土地の返還に関し正当な権利者がさらに追加代金を支払わなければそれが実現できないという内容の調停は、法律行為の目的において不法であり、公序良俗に反し当然無効である。

したがつて右調停があるからといつて控訴人は本件土地の所有者でないことを認めたものでないことはいうまでもない。

第二被控訴代理人は控訴棄却の判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

一、本件土地がもと永井信の所有であつたこと、同人から伊東光太郎に、伊東から被控訴人に対し各所有権移転登記がなされていることは認めるが、永井から組合が譲りうけ、さらに控訴人が組合の権利義務を承継したという事実は知らない。

伊東が井上弁護士の岳父であること、控訴人主張のような永井・組合間の訴訟について右井上が組合の訴訟代理人となり組合敗訴の判決が確定したことは認めるが、その余の事実は争う。

二、(一) 神田飲食企業組合の設立

(1)  組合は昭和二五年五月三一日中小企業等協同組合法に基き設立されたもので、終戦後の露店撤廃に際し東京都の指導のもとに神田駅周辺の露店商の一部が結成してつくられたものであり組合員の数は約一六名程であつた。

(2)  組合は同年八月ころ訴外木下照夫より本件土地の借地権を譲りうけ、かつ同地上に木造瓦葺二階建地下一階付の店舗である本件建物を建築所有するに至つた。

(3)  その設立当初の代表理事は川口秀雄であつたがその次は有田正夫が選任され、昭和二六年一〇月以降同三一年四月までの間再び右川口が選任された。控訴人は同二六年ころから二九年一一月ころまでの間右有田の内妻であつたにすぎない。

(二) 地主から組合に対する訴訟

(1)  当時本件土地の所有者であつた永井信は、昭和二五年ころ前記訴外木下に対し本件土地明渡訴訟を、また翌二六年五月ころ組合に対しても建物収去土地明渡訴訟を提起し、右両事件は併合審理された。

(2)  右事件において木下の有していたとする借地権が永井になんら対抗しうるものでなく、したがつて組合の本件土地占有権原も永井に対抗しえないものであることが明らかになつた。

(3)  井上弁護士は右事件の組合の訴訟代理人として事件処理にあたつたが、右のように組合側敗訴の見込が明かになつたので、当時の組合の代表理事有田正夫に対し右事件をなんとか和解に持込まない限り敗訴となり、組合存続の基盤を失うことを告げ、組合の了解のもとに永井の訴訟代理人垂水弁護士と示談交渉をすることにした。

(4)  その結果訴訟外において組合が本件土地を買いうけることになり、右事件の弁論終結をした昭和二六年一二月一二日組合と永井間において本件土地の売買契約が成立した。

(5)  右契約成立までには次のごとき事実がある。

イ、当時組合は多大の債務を負担しており代表理事有田も組合のため連帯して債務を負つていたので、組合または有田名義で本件土地を直ちに買い入れることは、組合債権者との関係上好ましいことではなかつた。

そのため組合および有田から井上弁護士に対し、本件土地の買受名義人は第三者名義を用いることの申出があつた。

井上弁護士は永井に対してそのことについて了解をえていた。

ロ、一方有田はその買受資金の借入方について奔走していたが、なかなか金主をえられなかつたので、井上弁護士は万一期限までに資金借入ができないと永井との契約の締結ができなくなることを慮り(垂水弁護士は訴訟外の示談でかつ現金一時払を強く希望していた)組合の利益のためもし組合において期限までに金策できないときは、一時本件土地を第三者に買つて貰い、組合で買い取れるようになつたら再びその第三者より買いうけることも一策と考え、中国人である遊正恒に右事情を話し、数カ月後には必ず買戻すことを述べたところ、国籍の関係上外資委員会の許可が必要だから、もし買取るとなれば井上弁護士の名にしてくれとの申出があつた。そこで井上弁護士と右遊正恒との交渉の結果、右井上の岳父伊東光太郎の名義を用いることにした。勿論伊東の承諾をえておいた。

ハ、そこで井上弁護士は有田を通じ組合に対し永井との示談交渉の結果を報告するとともに、資金借受の交渉模様をたずね、さらに遊正恒との交渉経過を述べたところ、有田は、必ず期限までに金策する、万一それができないときはできるだけ短い期間に相当の謝礼を含めた代金で遊正恒より買い戻す確信があり、また組合債権者との関係上是非第三者名義で売買契約を締結して貰いたい旨重ねて申出た。

その結果、前述のとおりの売買契約を締結したが、買受名義人は形式上伊東光太郎となつていたのである。

(三) 土地買受人の実質的変動

(1)  前記売買契約の条項には契約と同時に手付金一〇万円を支払う約定になつていたところ、前記事件の最終口頭弁論期日の昭和二六年一二月一二日朝、有田は井上弁護士に翌一三日の正午までには必ず一〇万円を持参するから、是非手付を立替えて契約を締結して貰いたいと述べた。そこでやむなく井上弁護士は組合のため立替えて自己の小切手を振り出し永井に交付し、右売買契約書に調印した。

(2)  ところが約束の日時になつても有田は右立替金を持参しないのに対し、取引銀行より預金不足の連絡をうけたので井上弁護士はやむをえず同日遊正恒にこの事情を述べて金一〇万円を出して貰い、小切手の不渡を防いだ。

この結果前示特約に基き本件土地の買受人は伊東こと遊正恒となつたのである。

(3)  前記訴訟事件は翌二七年一月九日組合敗訴の判決をうけたが、有田はこんどこそ大丈夫金策できる旨井上弁護士に報告してくるものの、いずれも不成功に終つてしまつた。井上弁護士はなんとかして実質的に組合のため本件土地を買い取らすべく、永井に対する代金支払時期の猶予を求めてきたが、同年二月上旬ころに至り、組合の代表理事有田は土地買取りを断念し、遊正恒もしくは伊東に本件土地を買取つて貰い組合のため借地権の設定がえられればよいと申し出るようになつた。またそのころ前記事件の判決が確定するのでこれにつき控訴の提起を尋ねたのに対し、勝訴の見込もないから控訴しなくてよいとの返事をするに至つた。

(4)  遊正恒は同年二月半ばころに至り、井上弁護士に対し組合および有田は信用できないし、組合が買戻すことの期待は皆無に等しい、これでは約束が違うではないかと苦情を申し入れてきた。そこで進退きわまつた井上弁護士は岳父の伊東に事情を話した結果、実質的にも伊東が買受人となることにし、同年二月一八日永井に対し伊東において残代金を支払つて、同日所有権移転登記手続を経由した。そのことは有田を通じ組合も了解していたものである。このようにして、本件土地は形式実質とも伊東が買受人となり、かつ同人が所有権を完全に取得したのである。

(四) 本件土地に対する強制執行と執行延期。

(1)  その後組合の営業は衰微の一途をたどり、組合には有田と設立当初の代表理事の川口秀雄の両名が残るのみになつた。

(2)  昭和二七年五月三〇日、伊東は山崎保一弁護士を代理人として組合に対し建物収去土地明渡の強制執行に着手した。

(3)  組合はこれについて執行の猶予を求めたので同年六月上旬ころ、両当事者間(組合代表理事有田と山崎弁護士)において一カ月金三万円の割合による執行延期料を組合より伊東に支払うことの合意が成立し、同年六月より八月まで合計金八万円(八月は二万円)を山崎弁護士が伊東のため受領し、ついで同年九月から一カ月金五万円に増額して、同年一二月まで合計金二五万円を同弁護士が組合より受領した。

なお、翌二八年二月ころ山崎弁護士は辞任し、同年四月ころ寺島景作弁護士が伊東の代理人となつた。

(4)  同年五月一日、寺島弁護士は組合と交渉した結果、代表理事有田との間において次のごとき約定をした。

すなわち、組合は同年八月末までに地上建物の所有権を放棄して本件土地を伊東に明渡すか、本件土地の賃借権の設定もしくは所有権の移転をうける。但し借地権設定の対価は金三〇〇万円とする。強制執行は同年八月末まで猶予する。但しこの損害金五〇万円につき即日金三〇万円残金は八月まで毎月五万円ずつ支払う等であつた。

寺島弁護士は同日約旨に基いて金三〇万円を組合より受領した。

(5)  しかし組合はさらに執行の猶予を求めたので、同年一〇月七日前記当事者間において、次のごとき約定を締結するに至つた。

すなわち、同年一二月二五日までに地上建物の所有権を放棄して本件土地を伊東に明渡すか、本件土地の賃借権の設定をうける。賃借権の対価は金二四五万円とし、同年一〇月末までに金五〇万円以上、一一月末までに右同額、一二月二五日までに残額とする。強制執行は同年一二月二五日まで猶予する等であつた。

(6)  しかるに組合は一二月二五日までに履行しなかつたのであるが、伊東は既に本件土地上の建物に新たな賃借人が使用を始めており、これを退去させることをちゆうちよしたばかりでなく、翌二九年に至り寺島弁護士において弁護士登録取消をした等の事情のため、しばらく形勢を傍観することにし時日を経過させていた。

(五) 強制執行の続行と調停成立。

(1)  これよりさき組合は昭和二八年七月ころ本件建物内部を改造し、階下を九店舗に分割し、一カ月金七万円の家賃を取立てていて組合自身の営業はしていなかつた。これを奇貨とした控訴人は、同二九年二月ころから一二月ころまでの家賃を自己のために浪費してしまつたばかりでなく、組合の代表者である有田の理事長印を盗用して同年九月二四日組合所有の建物を自己が取得したとする建物所有権移転登記手続を経由し、同年一一月ころ情夫小山内某と一時姿をくらましたのである。

(2)  このため伊東は昭和三〇年初ころ我妻源二郎弁護士を代理人として再び本件土地の明渡執行の続行に着手した。これに対し同年一月一三日建物居住者である訴外小林一ほか八名より東京簡易裁制所に対し、伊東、組合、控訴人を相手とする借家権確認、強制執行取消等調停事件が提起され、同事件において分離の上、翌三一年三月一九日伊東と控訴人間において調停が成立した。

(3)  右調停条項の大綱は次のとおりである。

すなわち、本件土地につき売買の予約をする、但し昭和三一年一二月末日限り金三二〇万円、同年三月一日より売買契約履行まで毎月末日限り一カ月金二万円の割合による損害金を支払う、右損害金の支払を三カ月以上怠つたときは売買予約は当然効力を失う等であつた。なお同調停事件の伊東の代理人は我妻弁護士、控訴人は控訴人本人が出頭して調停が成立したものである。

(4)  しかるに控訴人は約旨に基く損害金の支払を一回もしなかつたので、念の為伊東は控訴人に対し同年六月一八日売買予約は同年五月末日の経過により当然解除になつた旨の意思表示をした。

(六) 被控訴人の所有権取得。

(1)  被控訴人は肩書地において片山医院として医業を行つており、都心において綜合診療所を経営したく企図していたところ、偶々本件土地において、既に勝訴判決が確定しているが居住者の明渡に手間取つているということを有田から知らされ、かつこれが買取りをすすめられたので昭和三四年三月三一日伊東より代金五五〇万円で本件土地を買入れ、同年五月七日所有権移転登記手続を経由した。

(2)  被控訴人は、すでに述べたような本件土地および組合との紛争の事実は全く知らなかつたが、伊東に対し内金として金三〇万円を支払い、残代金についてはその支払を確保するため他の不動産に抵当権を設定しておいた。なお債務の支払は明渡完了時(昭和三五年末ころまでといわれていた)との約定であつた。

(3)  被控訴人は本件土地上に地上六階地下一階の鉄筋コンクリート建の建物を建設すべく、昭和三五年二月建築基準法による確認申請をし、同年六月二日その認可をえた。また住宅金融公庫の融資申請も同年六月ころ手続を進めている。

(七) 控訴人の策動。

(1)  控訴人は前記(五)の(1) のとおり本件土地上の建物につき自己名義の登記を経由したので、なんとかその建物を確保すべく、井上弁護士を告訴したり、第三者を介して脅迫したりしていたが、被控訴人が本件土地を取得した事実を知ると昭和三五年五月ころ、被控訴人、伊東、井上弁護士を被告として本訴を原審に提起する一方、井上弁護士につき東京弁護士会に対し懲戒申立をするに至つた。

(2)  原審では、伊東、井上に対する訴を取下げたが、懲戒申立は、本訴における利益のためになされたものであり、かつ偽造文書によつてなされていたため、懲戒委員会の決定をみないうちに控訴人は懲戒申立も取下げた。

(八) 控訴人の主張に対する反駁。

(1)  控訴人は組合よりその権利義務を承継したと主張するが、組合は前記のとおり事実上解散状態になつたものの、依然存続しているのであるから、右のような事実はない。

(2)  井上弁護士が控訴人に対し昭和二七年五月中旬ころ本件土地代金八四万余円あるいはこれに利息を加算して金一〇〇万円の支払を催告したと主張するが、当時既に本件土地の所有権は伊東に属しており、強制執行に着手していたのであるから、そのようなことはありえない。

(3)  控訴人は昭和二七年六月より金三万円ずつ支払つたと主張するが、組合の伊東に対する執行延期料を有田の内妻であつた控訴人が組合のために一、二回持参したことがあるにすぎない。しかもその額は合計金九三万円である。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、本件土地がもと永井の所有であつたところ、これに控訴人主張のごとく、永井から伊東へ、伊東から被控訴人ヘと各所有権移転登記がなされていることは、当事者間に争いがない。

二、よつてまず、永井から本件土地を神田飲食企業組合(組合)が買いうけたものかどうかの点について判断する。

1、本件土地とその隣接地上に本件建物外一棟の建物が存し、訴外和田斐雄が他の一棟を、組合が本件建物をそれぞれ右建物所有者訴外木下照夫から買いうけて所有権を取得し、これを占有使用して土地を使用していたところ、永井から土地所有権に基づき建物収去、土地明渡の訴訟が提起され、和田は永井と訴訟上の和解をし、永井から隣接地を買いうけた。組合は弁護士井上四郎を訴訟代理人として応訴したが、昭和二七年一月一九日組合敗訴の判決が言渡され、組合から控訴の申立てもなされず、そのころ右判決は確定した。

以上の事実は当事者間に争いがない。

2、成立に争いない甲第三〇号証の二(別件における証人井上四郎尋問調書、とくに「契約の際は伊東光太郎こと神田飲食企業組合つまり実質買受人は神田飲食企業組合で表面伊東の名前だけを借りたとこういう契約になるわけですね」という問に対し井上の答として「そういうことになります」とある供述記載)、第三三号証(仮売買契約書)、第五五号証(懲戒委員会における弁護士寺島景作の参考人調書、とくに「井上は、伊藤の名前にするのは本当の趣旨ではなく組合の名前に本来すべきであつたと述べていた」との供述記載)、当審における証人井上四郎(第一回、とくに「私は有田と相談した結果買受名義を伊東光太郎とすることで話がまとまり、永井側にもその代理人の垂水弁護士を通じて「買受人として有田の名前を出すのは同人が組合の債務について連帯保証をしている関係からまずいので名義だけは伊東にしたいから」と事情を説明して了承を得、代金七二万五、〇〇〇円、買受人を伊東とする売買契約を結びました」とある部分)、同垂水正雄の各証言及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせると次のように認めることができる。

すなわち、右訴訟の係属中本件土地についても永井側と組合訴訟代理人井上弁護士との間に組合が本件土地を買いうける旨の話合いが進められ、代金は七二万五、〇〇〇円ということになつたが、当時組合は早急に買取資金を捻出することができず、また他に多額の債務を負担し、代表理事有田正夫らもその連帯保証人となつていた関係上本件土地を組合又は有田らの名義にすると債権者らから差押をうける虞れがあつたので、有田とも相談し、井上弁護士は取りあえず買主名義を自己の岳父伊東光太郎とすることで、永井の訴訟代理人垂水弁護士の承諾を得、昭和二六年一二月一二日(前記訴訟の最終弁論期日)永井代理人垂水弁護士と組合代理人井上弁護士との間に売主永井信を甲とし、買主伊東光太郎を乙とし、甲は乙に本件土地を代金七二万五、〇〇〇円で売渡し、乙は代金内金として金一〇万円を支払い、残額は同年一二月二六日限り甲に支払い、甲は同時に乙又は乙の指定する者に本件土地の所有権移転登記手続をすること等の約定の売買契約を締結し、約旨の内金一〇万円は即時井上弁護士が組合のために立替えて自己振出の同額の小切手を垂水弁護士に交付して支払つたが、組合は依然買取代金の捻出に困難していたので井上弁護士は残代金の支払延期を求め、結局昭和二七年二月一八日残代金六二万五、〇〇〇円は井上弁護士において調達してこれを支払い、それと引換えに伊東名義に所有権移転登記手続を了したものである。

右甲第三号証は「仮売買契約書」と題されているが、そこに記載されている事項は本件土地の売買契約の成立に必要な事項を網羅しており、他に本契約書なるものは作成された事実はなく、所有権移転の時期についても特段の合意のなされた事実はこれを認めえない本件では、本件土地の所有権は右契約成立の時において永井から組合に移転したものというべきである。

3、これに対し井上弁護士は、当審における証言(第一、二回)やまた、甲第六号証、第三〇号証の一、二、第五七号証などによると、組合に本件土地を買いとらせるべくその訴訟代理人として組合を督励し、また自らも努力もし、前記小切手も井上弁護士自ら立替え振出したほどであり、組合が買い戻すという前提のもとに伊東が永井から本件土地を買いうけたものである旨弁疏し、被控訴人もまた同様の主張をするので按ずるに、右井上の弁疏によるも、当初前記契約の際伊東名義を用いたときには、伊東の了解を得ることなく、井上が独断でその名義を利用したことは成立に争いない甲第三〇号証の二と第四二号証の一により明らかである。そうだとすれば、仮りにその後において伊東がこれを了承したとしても、その趣旨は右に認定したとおりであつて井上が伊東の無権代理人として、あるいはその事務管理として前記契約をなしたという事実の認められない本件にあつては、これがためなんら伊東が本件土地についての権利を取得するいわれのないことは明らかであり、伊東の右了承はたかだか代金の立替支出につきその名義を使用することを承諾したものにすぎないと解すべきである。

あるいは成立に争いない甲第一五号証の五(懲戒事件における井上の弁護人名義の陳述書)の記載、右証人井上四郎の証言(第一回)や被控訴人の本訴における主張からすれば、井上は当初は組合が本件土地の買主で、伊東はただの名義人に過ぎないとしていたが、組合において最初支払の内金一〇万円をはじめ立替代金の返済に困難となつたため実質上の買主が変更し、伊東が名実ともに本件土地の取得者となつたのだとするにいたつたとも考えられるが、組合が一旦伊東を名義人として買受けて取得した本件土地の所有権を、その後その立替金の返済が遅れたということだけで、直ちにこれを失うこととなるはずはなく、その点について組合側と相談の上でそうしたとの右井上証人の証言は直ちに信じ難い。しかも成立に争いない甲第三〇号証の一、第四二号証ならびに弁論の全趣旨によると、伊東は井上の岳父(この点は当事者間に争いがない)で、病気のため教職を昭和二〇年ころ辞し、僅かに恩給をえて戦後困難な時代をしのぎつつ、当時無職のまま井上方に寄食していたものであるところ、伊東は自己が本件土地を買いうけたものであるといいながら、それが自己の長女の夫である井上弁護士が訴訟代理人となつて扱つた係争物件であり組合が占有使用していることや、売主が誰で代金がいかにして決定されたのか、何故またいつ承継執行文附与などの手続がされたのかの事情などは一切知らず、ただ井上弁護士から後になつてその事情を知らされたものであり、後記の山崎、寺島弁護士なども自己が選任したものではなく、井上が依頼したもので、その報酬もすべて井上が支払い、甲第四〇号証(甲第三〇号証の一により成立を認めうる)の井上が伊東の代理人として本件土地を組合に金八〇万円で渡す旨の昭和三三年二月一九日確定日付つきの念書についても伊東は全く関知していないこと、また、その後の問題ではあるが同人は被控訴人を知らず、同人に対する売買も一切井上がこれを行つたことなどが認められる。甲第三〇号証の一、第四二号証中の井上や伊東の供述記載によれば、伊東は永井からの本件土地売買代金の内約六〇万円を同人の有した有価証券(三井船舶、日本光学等の株券)を処分して調達したというが、これらは井上弁護士に預けてあつたものというだけで、他にこれを裏付けるものがなく、真実そのような伊東にとつては大切と思われる資産を処分して代金を捻出したものとすれば、前記のように売買の対象や事情などについてほとんど知らないということは、極めて奇異であり、到底伊東自身が出捐したとの事実はそのままこれを信ずることはできず、結局他に反対の事情の認めるべきもののない本件では、右土地残代金もまた全部井上が出捐したものと認めざるを得ない。これらの事実によつて考えれば、伊東は井上の采配のもとにただその名前を使用させたものに過ぎないと認めるのが相当である。そうだとすれば、伊東は井上と別個の存在ではなく、井上の名義人であるに過ぎないから、伊東が本件土地を取得するというのは、ひつきよう井上が取得するということに外ならない。しかるに井上は組合の訴訟代理人であつて本件土地は正に当該訴訟の目的たる係争物であり、しかもそれを組合の相手方当事者から取得して爾後その相手方の地位を承継して組合に立向おうというのであるから、弁護士法二八条に違反し到底許されるものではない。右訴訟は前記第一審判決の確定により終了したとしても、井上弁護士がこれを取得することは、右訴訟終了前はもとより訴訟終了後であつても、後記のとおりその確定の債務名義を利用する等の状況においては依然係争物を譲受けることとなるという性格を失うものではない。したがつて伊東は本件土地につきなんら権利を取得するものではないとともに、井上もまた本件土地につき所有権を取得するに由なく、本件土地は当初の契約により永井から組合に譲渡され、組合の所有となつたことには、なんら消長がなく、爾後はただ組合と井上との間に、井上が立替えた代金の返済関係が残るだけであるといわなければならない。

三、つぎに控訴人が本件土地についての権利を組合から承継したという主張について判断する。成立に争いない甲第四七ないし第四九号証、乙第六号証及び当審における控訴人本人尋問の結果とこれにより成立を認めうる甲第二号証、第四六号証の一、二ならびに弁論の全趣旨をあわせると、次の事実が認められる。

1、組合は昭和二五年五月三一日神田駅周辺の露店商たちが集まり組合員一六名で設立されて発足し、代表理事には川口秀雄が選ばれたが、同人の経営指導能力に対する組合員の不満、不信から同二六年一〇月有田正夫を代表理事に改選した。

2、翌二七年にはいつて組合の多額の債務をどう処理するのか、組合員は組合の債務を連帯保証している関係上その負担に堪えないとする声が高まり、同年春ころから、しばしば組合員らは協議を重ねていたが、最終的に組合が解散すると負債の整理が困難だから、有田と川口の二人を残し他の組合員は脱退するという方法をとることとし、同年四月二九日の臨時総会においてその旨決議し、控訴人が組合の財産(債権、債務一切)をすべて引継ぐ代りに金一〇八万円を組合に対し出捐し、右金員をもつて脱退組合員に対する出資返戻金及び慰労金の支払いその他の用途に充て、控訴人はこれにより本件土地と地上の本件建物の所有権を取得するに至り、本件建物については昭和二九年九月二四日所有権移転登記を了した。

3、右最後の臨時総会には、井上弁護士は顧問弁護士として出席し、脱退届の原稿を作成してやり、また、被控訴人はその妻恵江が組合員となつていたし、被控訴人自身も従来たびたび組合に出入していたが、右臨時総会にも妻恵江の代理として出席し、出資返戻金、慰労金を受領した。

四、そこで控訴人が本件土地について支出した金員の支払状況について判断する。

成立に争いない甲第一五号証の六、第四号証の一ないし三と五、当審証人岡田実五郎の証言と控訴人本人尋問の結果及びこれらにより成立を認めうる甲第五、第六号証、第七号証の一ないし七、第三五号証の一、二(右第七、第三五号の各証はいずれも写であるが、これは右証人岡田の証言によれば、控訴人が弁護士岡田実五郎を代理人として井上を検察庁に告訴したさい、岡田弁護士方の事務員が原本に基づいて作成したもので、当時は原本があつたことは明らかであり、控訴人の供述によればその後これら書類が失われたことがうかがわれる)ならびに弁論の全趣旨をあわせると次の事実が認められる。

1、前記臨時総会の当時には、さきに認定したようにすでに組合と永井との間には本件土地について売買契約が成立し、伊東名義で、その実は井上がその代金を立替支払つて伊東名義に所有権移転登記を了していたのであるが、組合の側で右のごとき事情の経緯を知つていたのは有田、川口ら一、二の幹部にすぎず、他の組合員には事の詳細は知らされていなかつた。控訴人は当時有田の内妻のような立場にはあつたが、本件土地についてはまだ未解決で組合のあとを引継いでその権利義務を承継するものが、土地代金を支払わねばならないという程度に聞かされていたに過ぎなかつた。

2、一方井上は後記のとおり伊東の代理人ということで弁護士山崎保一、次いで同寺島景作らを頼んだので、控訴人は右山崎、寺島らや井上に対し左のとおりの金員を支払つた。

(イ)  昭和二七年六月九日 三万円

(ロ)  同年七月九日    右同

(ハ)  同年八月七日    右同

(ニ)  同年九月五日    五万円

(ホ)  同年九月三〇日   右同

(ヘ)  同年一〇月三一日  右同

(ト)  同年一二月五日   右同

(チ)  同年一二月二五日  右同

(リ)  昭和二八年一月   右同

(ヌ)  同年二月      右同

(ル)  同年三月      右同

(オ) 同年四月      右同

(ワ)  同年五月一日    三〇万円

(カ)  同年五月      五万円

(ヨ)  同年六月      右同

(タ)  同年七月      右同

(レ)  同年八月      右同

(ソ)  同年九月八日    一〇万円

(ツ)  同年一〇月     右同

(ネ)  同年一一月六日   二〇万円

(ナ)  同年一一月二六日  一五万円

(ラ)  同年一一月二七日  二五万円

(ム)  同年一二月     右同

(ウ)  同年一二月二八日  右同

(ヰ)  同年一二月末    一〇万円

以上合計金二四四万円

もつとも右(ソ)ないし(ヰ)の金員の受領は井上において強く否認するところで、これらの受領を証するものとされる前記甲第七号証の一ないし七、第三五号証の一などは偽造であるとするのであるが、これらが偽造であることを認めるべき的確な証拠はなく、成立に争いない甲第三〇号証の一、二によれば井上は合計一三〇万円くらいを受領したことを認めているのでその間計数があわず、結局井上の主張は採用しがたいところである。

3、ところが成立に争いない甲第一五号証の二、第一六号証の一、二、第三六、第三七号証(乙第八、第九号証の一、二と同じ)第四三、第四四号証、第四五号証の一ないし五及び当審における控訴人本人尋問の結果と、これにより成立を認めうる甲第一〇号証の一、二、第一一号証、第一五号証の四ならびに弁論の全趣旨をあわせると、右支払いについては次に述べるような事実が認められる。

すなわち、井上弁護士は組合代理人として伊東名義で本件土地を永井より買受け、売買代金は自ら調達してこれを支払つたが、組合の側は容易にその立替金の返済ができなかつたので、爾後組合に対しては名義人の伊東が実質的にも土地所有権を取得したものと主張し、前記判決が確定するや、永井の代理人垂水弁護士から伊東の代理人の資格で判決正本及び確定証明等の交付をうけ、次いで伊東の代理人として自己の友人の弁護士山崎保一を依頼し、詳細な事情に通じない山崎をして、右判決につき伊東を永井の特定承継人とする承継執行文を取得せしめ、組合に対し右判決に基づく強制執行ができる体勢をととのえ、それを背景として以後組合に強硬な態度で臨み、山崎辞任の後は同様知合の同職寺島景作をこれに代らしめ、同人らを通じて組合をして、あるいは本件土地の賃料相当の損害金ないしは執行の延期料名義で金員を支払わしめ、あるいは本件土地を買取るか借地権を設定するか等を約せしめて、これらの名目で前記の金員のうち相当部分を取得したものである。組合の側では前記のとおり、すでに大多数の組合員が脱退し組合には有田理事長のほか川口秀雄が残存するのみであり、控訴人は自ら出捐して組合の権利義務を承継したが、まだ有田の内妻の如き立場にいたので、当初は表面には出ず井上や山崎との交渉は依然有田が当つていたこともあつて、本件土地をめぐる権利関係については詳細を承知せず、ただ組合のあとを継ぐ者が土地のための金を支出しなければならないとの認識のもとに、井上や山崎、その後任の寺島らの要求に応じて控訴人が自ら多数回にわたり前記の金員を支払つたものである。

以上のとおり認めることができる。しかし本件土地はすでに組合の所有になつたものであり、爾後は組合と井上との間に立替金の清算が残るのみであつて、その清算が未了であるからといつて井上が伊東名義で係争物たる本件土地を取得することは許されず、しかもあえてその権利を取得したものとして名義人の名義にかくれて依頼者本人たる組合に立ち向い、当該債務名義に基づく強制執行の圧力のもとにその権利を行使することの許されないことは前記のとおりであるから、井上が伊東の名義で自ら又はその代理人を通じ損害金や執行延期料等の名目で控訴人から金員を取得するのは法律上の理由なく不当に利得するものであり、所詮返還すべきものであるから、究極においては他の立替金支払のための支払金と同様、その立替金の清算の中において解決されるべきものといわざるをえない。その意味において控訴人がこれらの金員はすべて右立替金の返済として支払われたものと主張するのは実質的には理由のないことではなく、井上が伊東名義で立替えて出捐した本件土地売買代金七二万五、〇〇〇円は、同人においてすでに実質的には優にこれを回収しえたものというべきである。

五、ところで伊東と控訴人間においては、東京簡易裁判所昭和三〇年(ユ)第五号借家権確認等調停事件の調停調書(成立に争いない甲第三八号証、乙第四号証)が作成されているので、この点について判断する。

右調書によれば昭和三一年三月一九日本件土地について伊東と控訴人間に売買の予約が成立し、これに基づき控訴人が売買本契約を締結せんとするときは、同年末迄ならば代金三二〇万円、昭和三二年末迄ならば代金三五〇万円、同三三年末迄ならば代金三八〇万円としてこれを伊東に提供すること、控訴人は昭和三一年三月一日から売買契約履行ずみまで毎月末日限り一カ月金二万円の賃料相当損害金を支払い、伊東はそれまでは強制執行を猶予するということを主な内容としていることが明らかである。

これによれば控訴人は本件土地が伊東の所有であつてこれを同人から買取ることを承諾したものの如くである。

しかし右調停の効力を認めることはできないのであつて、その理由は次のとおりである。すなわち、前述のように本件土地を永井から買いうけたものは組合であつて伊東はその名義を同人不知の間に井上が利用したにすぎないのであるが、井上弁護士は組合の訴訟代理人であり本件土地は係争物であるにかかわらず、組合が井上の立替えた代金の返済をしないということでこれを永井から自ら譲りうけたこととし、組合に対する承継執行文をえて明渡を迫り、強制執行猶予の名目のもとに多額の金員を領得しながら、さらに本件土地は伊東の所有であると称してこれを前記のごとき約定のもとに、法律にうとく、前記の権利関係の詳細に通じない控訴人に対し、売買予約の形式をとらせたものであつて、井上の右のような行為は違法であり、正義衡平の観念に反するものであつて、このような違法にして真実と異なる権利関係を前提とした前記調停に基づく約定は無効といわなければならない。したがつて右調停の成立したことをもつて、前記認定をくつがえすべき反対の事情とすることはできない。

六、最後に、被控訴人は本件土地について適法に所有権を取得したものか否かについて判断する。すでに前認定のとおり本件土地は永井から組合が伊東名義で買受けて組合の所有となり、次いで組合の権利義務を承継した控訴人の所有となつたものであり、登記簿上の所有名義人伊東はたんなる名義を有するのみで所有権を有するものではなく、井上もまたこれを適法有効に取得しえないものであるから、この点で被控訴人は伊東ないし井上から本件土地所有権を譲受けるに由ないものであることは明らかである。しかし伊東の名義は仮装のものであるから、真実被控訴人が伊東ないしその代理人井上との間で善意に売買契約を締結したものであるとすれば、被控訴人はその所有権を取得しうるべきものである。被控訴人の主張は弁論の全趣旨において、右の趣旨を含むものと解せられるのでその点について検討する。

成立に争いない甲第三号証の一、第三〇号証の一、第四二号証、第四六号証の一ないし三、第五一号証の一ないし四、第六三号証及び当審証人鳥谷ちよ、同井上四郎(第一、二回)の証言、当審における当事者双方本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨をあわせると、被控訴人の妻恵江は、控訴人と同じく組合員であつたが、当時被控訴人は刑務所の嘱託医師であり、自ら飲食のため、また妻の代理として常に組合に出入りし、総会の席にもたびたび出席し、前記昭和二八年四月二九日の臨時総会にも出席して、恵江名義の領収証や脱退届(甲第四六号証の一、二)も自らこれをしたためているものであるのみでなく、さきに川口秀雄(初代組合理事長)が組合の代表者なりとして控訴人及び有田らを相手方として提起した本件建物の所有権移転登記抹消請求訴訟においては、右川口側の申請によつて証人として種々組合の内情について証言しており、本件土地についてはその後控訴人がこれを取得したとして伊東ないし井上及びその代理人山崎、寺島、我妻弁護士らとの間に紛争があり、さらに控訴人は井上に対し再度にわたり検察庁に告訴する等して、きびしくその責任を追及していたこと、被控訴人はかねて井上弁護士とは知合であり、登記簿上の名義人伊東が井上の岳父であること、本件土地は組合側でその土地代金を支払うべきものをその履行ができないでいることなどを知つていたこと、そこで人を介して本件土地を買わないかとの申入れをうけて、これを代金五五〇万円で買いうけることにしたが、そのさい本件土地については控訴人が自己の所有なりとしてその権利を主張していることも知つていたこと、被控訴人は右売買契約は伊東の代理人ということで井上弁護士との間で昭和三四年三月三一日締結したが、その代金を一文も払わない間に、同年五月七日いち早く伊東から被控訴人名義に所有権移転登記がなされ、伊東の代理人であつた寺島弁護士を代理人として承継執行文を得、右登記の半年以上の後である同年一二月にいたつて内金三〇万円を支払つたのみで、残額は現在まで支払われていないこと、残代金については被控訴人の実姉山口ナカエをして保証せしめた上、同人所有の建物に順位二番の抵当権を設定せしめ、その債務弁済契約公正証書は井上において伊東の代理人、訴外八木栄一が被控訴人及び山口の代理人となつて作成されているが、右八木は井上弁護士の事務員であること、右残代金の支払は土地明渡終了の後とされていて、まだ本件をはじめ係争中で土地明渡はすんでいないのに、前記公正証書を債務名義として伊東から本件土地につき強制競売が申立てられ、その旨の登記がなされたこと等の事実を認めることができる。以上の事実によつて考えれば、被控訴人と伊東代理人としての井上との間の本件土地売買契約においては、被控訴人は伊東は単に土地の名義人に過ぎず、真実所有権を有するものでないことは知悉しながら、しかも当事者間に真実売買するの意思がなく、井上において控訴人のはげしい追及をさけるためその名義を変更すべく、当事者相通謀してした虚偽の意思表示であることを推認するに充分である。成立に争いない乙第一四号証の一、二によれば被控訴人は本件土地上にビル建築を計画したかに見えるが、現にはげしく抗争が続けられていた本件土地が直ちに使用できるとも思えないことからすれば、右はたんなる試み以上には出ないものと解せられ、もとより右認定を左右するに足りず、この点に関する被控訴人本人尋問の結果は採用せず、その他に右認定をくつがえすべき的確な証拠はない。したがつて被控訴人は善意の第三者にあたらないのみでなく、右売買契約は無効であるから、被控訴人は結局いかなる意味においても本件土地の所有権を取得するに由なく、その登記は実体関係に符合せず、無効のものといわなければならない。

七、これを要するに以上判示した如く、本件土地所有権は永井から組合に、組合から控訴人にと順次移転したものであつて、現に控訴人の所有に属するところ、井上が組合のために永井に対し売買代金を立替支払い、伊東は便宜上たんに登記簿上の所有名義人とされたにすぎないものであり、組合の権利義務を承継した控訴人は実質上井上の立替代金の返済を完了しているにもかかわらず被控訴人は伊東から本件土地を買受けたとしてその旨の登記を了しているが、右登記は実体関係に基づかず無効であるから、被控訴人は本件土地の所有者である控訴人に対し、その登記を真実の権利関係に符合させるため、その取得登記の抹消に代えて、所有権移転登記手続をなすべき義務があり、これを求める控訴人の本訴請求は正当として認容すべきであり、これと異なり控訴人の本訴請求を排斥した原判決は失当として取消しを免れず、本件控訴は理由がある。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 加藤宏 園部逸夫)

別紙 物件目録〈省略〉

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